
■三ツ石沖の沈鐘伝説
真鶴の先端、真鶴岬に立つと3つの巨岩が見えます。三ツ石と呼ばれるこの岩は、笠に似ているので笠島とも
いわれています。磯遊びに絶好の三ツ石には、昔から次のような言い伝えがあります。
むかしむかし、三ツ石の沖に子連れの夫婦鮫が住んでいました。ある時、帆船が江戸に大きな鐘を三つ届けるために真鶴沖まで来たところ、海がひどく荒れだしました。海をのぞくと船のまわりに大きな鮫がいたため、水主(かこ)達は船ごと沈没してしまうと、あわてて大きな鐘を投げ込むと、大きくしぶきをあげて大鮫を吸い込むようにして海に沈んでいきました。「まだ鮫がいるぞ」というので二番目に大きな鐘を投げ込むと、海は嘘のように静かになりました。次の日の朝になり、せめて一番小さい鐘だけでも江戸に届けたいと思って出発しようとしましたが、またもや海が荒れだしました。「これは海の神の怒りにふれたのだ」と江戸に行くのをあきらめて、残った鐘を港近くの常泉寺に奉納することにしました。すると荒れていた海が静かになりました。
それからは三ツ石の沖を船が通ると、いつもボーンボーンと鐘の音が聞こえてくるといわれています。
これは、残された子鮫が、鐘にとじこめられたお父さんやお母さんに会いたくて、自分の尾びれを振って鐘を叩いている音だそうです。
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■心優しい奇僧風外道人
昔、真鶴の風景がたいそう気に入り住みついたお坊さんがいました。その名は風外慧薫。風外道人ともいわれています。
風外道人は永禄11年(1568)に群馬に生れ諸国を行脚して大悟し、小田原市成田の城願時の住職になりましたが、おのれの求道の為に曽我山で穴居生活に入りました。寛永4年(1627)、風外60歳の頃、真鶴の水上山自泉院の日和山の洞窟に居住。当時の真鶴は、江戸城修復で諸大名の石材採掘と、その海上運搬でにぎわっていました。風外は名主五味伊右衛門演貞の願いで天神堂を開き、「巌屋縁起」「貴宮大名神縁起」等を書き残しました。
また村人には三ツ石に弁財天を、亡き父母の為に石造を刻んで供養しました。達磨や布袋を画くのも風外の得意のひとつでした。子供たちからも親われ、「雨こんこんふってきた、天神堂の坊さんに蓑笠もっていこう」と歌われています。
真鶴に住んで20年余り、風外は突然姿を消して伊豆に旅立ってしまいました。
落葉翻風前
栄華豈可伝
全身知石塔
堪笑幾随縁
と自ら刻んで自照した寿塔が天神堂に残されています。
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